独鈷山麓にある古刹で、本尊は大日如来。間口十間独鈷山麓にある古刹で、本尊は大日如来。間口十間、奥行八間の木造萱葺。弘仁年中(812)空海上人が護摩修行の霊場として開創したと伝えられている。当初古義真言宗として法相、三論両宗を兼ねていたが、元弘年中(1331)讃岐国善通寺より長秀上人が来止し、正法院を現在の地に移し、前山寺を開山したと伝えられる。塩田城の鬼門に位置し、その祈祷寺として、武将の信仰も厚かった。貞享年中(1684~)鶏足寺を離末し、京都の智積院末となり新義真言宗信州常法談林所として教学の殿堂であった。かつては四十数ヶ寺の末寺をもち、歴史のある寺として知られている。
大正11年4月13日 特別保護建造物指定昭和25年8月25日 国の重要文化財指定
前山寺の参道を通って山門をくぐり、南方に石段と銀杏の木を前景に立つ三重塔の姿は美しい。塔の建立年代は、資料がないのではっきりしないが様式上は室町時代の初期と推定されている。その後の記録によれば、寛喜・正平・天正・安永・嘉永・明治年中及び平成十年に修理が行われ、昭和十一年には解体修理が行われた。塔は三間三重で、高さ19.5メートル、屋根は柿葺である。「未完成の完成の塔」と言われ、二、三重の柱に長押仕口がありながら、窓も扉もなく、また廻廊も勾欄もない。ただ長い胴貫が四方に突出して、うまく変化と調和を持たせている。相輪は鋳鉄製で、格狭間付露盤、伏鉢、請花、九輪、水煙、竜車、宝珠よりなる。内部には四天柱がなく、折上小組格天井とし、中央に須弥壇を置く。様式は、和様、唐様の折衷様式で、初重頭貫鼻が象化に移行する初期のものとして、時代の特徴がうかがわれる。
前山寺の奥の院として、岩屋の中に弘法大師が安置されている。その昔、護摩修行の霊場であったと伝えられているところである。独鈷を以ってお加持をしたところ水が沸出したので、独鈷山と呼ぶようになり、前山寺の山号になっている。寛政5年(1793)に、この山の岩をうがって、木仏の西国三十三番観音を祀り、近隣の信仰を集めていたが、明治になって仏像の破損などから、これを前山寺に移し、今日に至ったが、平成元年5月に近隣の石工組合の協力を得て石仏の観音像が復元された。籠堂もあり、景勝の地である。